一羔ニュース
障害者支援施設 小諸学舎より
2025-03-19
皆さん進んでかごを持ち、楽しそうにお店の中へ入られて行きました。たくさんのお菓子や食べ物が並んでいて「これ~これ~」と速いスピードで選ばれていました。嬉しそうに目を光らせ、お菓子を選ばれている姿を撮影しながらこちらも笑顔になっていました。緊張することなく楽しそうにお買い物が出来て、とても良い気分転換になったと思います。また皆さんとお出かけするのが楽しみです。(寺尾奈夏)
一羔ニュース(第619号)(2025年3月15日)掲載抜粋記事

共同生活援助事業 みゆき生活舎より
2025-03-19
みゆき生活舎には、70~80歳代の方が5名、車いすの方が2名、歩行器を使用する方が1名いらっしゃいます。日常生活動作が自立していた方も年々体力の低下が見られ、健康診断で入院治療が必要な病気が見つかり、医療機関にお世話になることがますます多くなっています。
毎日2回の体温、血圧、血中酸素飽和度等の測定はコロナ禍後も日課となる中で、先日、訪問診療で先生よりこのような詩を紹介していただきました。
「脈をみる 熱を計る それよりも寝ている人の顔の色を見る
色つやがよく 瞳が輝いていると こっちのキモチにも輝きが出て 脈をみる 熱を計る」
『心のうた』サトウハチロー抒情詩集より
毎日、最も大切にしなければならないことの一つを教えて頂きました。特に「瞳の輝き」は、日ごろの支援で心が通い合ったときに「こっちのキモチにも輝きが出て」お互いにうれしい瞬間です。
住人の皆さんの表現方法は言語、非言語といろいろです。「うれしそう!」「気持ちが穏やかそうだなあ」「困っているのかな?」「いつもと違うけれど大丈夫かな?」など、今後も、私たち職員は、住人の皆さん一人ひとりと心を通わせながら、毎日を過ごしていきたいと思います。(大塚淑子)
一羔ニュース(第619号)(2025年3月15日)掲載抜粋記事

アッシジ巡礼の旅~祈りと黙想~
2025-02-15
一羔会理事 小松よし江
新年になり3日から10日まで、植松誠主教が団長として率いてくださる巡礼団へ夫と参加しました。軽井沢ショー記念礼拝堂に置いてあった1枚のチラシが、この巡礼団に参加したきっかけでした。
アッシジ?巡礼?って何のことという皆様に簡単にご説明いたしますと、「アッシジ(Assisi)」はイタリア共和国ウンブリア州にある小さな町です。「聖フランシスコ(フランチェスコ)の出身地として知られ、キリスト教の巡礼の地にもなっています。
今回、私達がタクシーの中で「アッシジ」と発音していたところ、イタリア人の陽気な運転手さんが鼻歌のオペラをちょっとやめて、「ノン!アッシジ! アッスイスイ!」との訂正がありました。(笑)
さて、「聖フランシスコ」は、1182年生まれ。フランシスコ会の創設者として知られるカトリックの修道士であり、中世イタリアの著名な聖人です。
「フランシスコ」というと日本人には、歴史に登場するフランシスコ・ザビエルの方が有名かもしれません。そのザビエルもアッシジのフランシスコに心酔し、教名を付けたと今回知りました。また、1585年には、日本からの遣欧使節である天正の少年使節の一行もローマ滞在後にアッシジを訪れているそうです。余談ですが、今回、飛行機は、ロシアの上空を通れず、アラスカを回り、14時間以上もかかりました。そしてローマからバスで2時間弱。へとへとになってアッシジについた私達でしたが、大昔はどれほど大変な旅程だったことかと思います。
「清 貧」
聖フランシスコというと枕詞の様に「清貧を旨として」と言われます。現代ではあまり聞かない「清貧」という言葉。広辞苑で引いてみますと「行いが清らかで私欲がなく、そのために貧しく暮らしていること」とありました。
聖フランシスコ大聖堂、聖遺物室で見た聖フランシスコの修道服は、着古して破れたところをつなぎ合わしてある物でした。
聖フランシスコ大聖堂、聖遺物室で見た聖フランシスコの修道服は、着古して破れたところをつなぎ合わしてある物でした。
今のアッシジの気温は、小諸より若干暖かい程度です。何百年後の見学者の私の装いは、フカフカのボアのついたダウンコートにホッカイロ!それでも寒いと言っている始末です。聖人と比べるには畏れ多いのですが…。そんな衣服一枚をとっても清貧の言葉通りでした。
訪問前に読んだ本⑴には、「清貧…本来は貧しさを表現する言葉だが、フランシスコの貧しさをただの貧しさだけでなく神との結びつきにおいて捉えているので、「聖貧」としたい」と書かれており、その言葉も胸に染み入りました。
「心、静かに」「共に歩む」

1月6日に、聖フランシスコ大修道院での顕現日聖餐式に同席しました。顕現日とは、東方の博士達がベツレヘムに生まれた幼子イエス様のもとを訪ねた日、ヨーロッパではこの日までクリスマスシーズンです。その後、聖フランシスコ大聖堂での荘厳ミサに参列。祭壇脇に席を用意していただきました。
アッシジでは、いくつもの修道院、聖マリア・デリ・アンジェリ聖堂、聖キアラ教会、ラベルナ山等を巡りました。各所は、フランシスが生きていたという実感を強く与えてくれるものでした。
巡礼団なので、日々、朝の祈り、昼はミサ(聖餐式)夕の祈りがあります。祈り、讃美歌を歌い、パスタを食べ、皆さんとしゃべり、そして歩く…を繰り返しました。参加された方の目的が明確な所為か、教会の方々という親和性のためか、主と共に歩むことができた旅でした。
アッシジでは、いくつもの修道院、聖マリア・デリ・アンジェリ聖堂、聖キアラ教会、ラベルナ山等を巡りました。各所は、フランシスが生きていたという実感を強く与えてくれるものでした。
巡礼団なので、日々、朝の祈り、昼はミサ(聖餐式)夕の祈りがあります。祈り、讃美歌を歌い、パスタを食べ、皆さんとしゃべり、そして歩く…を繰り返しました。参加された方の目的が明確な所為か、教会の方々という親和性のためか、主と共に歩むことができた旅でした。
この原稿を書きながら、「ケアの本質」⑵の中の一文を思い出しました。ケアについて書かれた本ではありますが、「生きることの意味」の副題がつけられています。そこには、「ケアを通じて、他の人々に役立つことによって人は自身の生の真の意味を生きている」と記されています。
自身を振り返ると、多くの皆さんとの関わりの中で、支えたり、支えられたりしながら過ごしてきたと心静かに思い返すことができました。今回の旅を企画してくださった多くの皆様に感謝するとともに、これを読んでくださった皆さまの上にも豊かな恵みがありますように。
自身を振り返ると、多くの皆さんとの関わりの中で、支えたり、支えられたりしながら過ごしてきたと心静かに思い返すことができました。今回の旅を企画してくださった多くの皆様に感謝するとともに、これを読んでくださった皆さまの上にも豊かな恵みがありますように。
⑴ 永井明著、1998
「アッシジの聖フランシスコ」 アルバ文庫
⑵ ミルトン・メイヤロフ著、1987
「アッシジの聖フランシスコ」 アルバ文庫
⑵ ミルトン・メイヤロフ著、1987
「ケアの本質」 ゆみる出版
一羔ニュース 第618号 2025年2月15日(毎月15日発行)記事より

「一羔ニュース」掲載記事の一部をご紹介。
2024-07-16

一羔会が毎月発行しています「一羔ニュース」ですが、その掲載記事の一部をこのブログでご紹介していきたいと考えております。準備が整い次第、順次記事を掲載いたします。お楽しみに。
